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◆東京七宝とは◆ |
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江戸初期、平田彦四郎道仁(1591〜1646)は朝鮮からの渡来人に七宝技術を学び、凹部に色付けしたと言われています。この方が我々東京七宝の祖であり彼は徳川幕府のお抱え七宝師として名作を残しました。 左、刀の鍔(重要文化財指定の花雲文七宝鐔)は彼の名作として知られています。これは刀の鍔ですから、素地は鉄でできています。ところが七宝の釉薬は、鉄には焼き付けることが出来ません。従って、この七宝の文様の部分は、金の箱を作ってその中に七宝を焼き付け、その箱ごと鉄の地に象嵌したものであると考えられています。また、鮮やかな透明色を使ってあることも驚きの一つです。当時の七宝は「泥七宝」と言って、不透明の釉薬が使われていました。平田家は代々江戸に住んで明治初期までその技術は門外不出とされて来ました。 慶応3年パリで第5回万国博覧会が開かれた時、日本の権威を海外に宣揚しようとして、幕府も使節団を派遣しました。そのとき薩摩藩が、パリの勲章師にレジョン・ドヌールというフランスの勲章をかたどらせた「薩摩勲章」を作りナポレオン3世以下に贈り好評を博した。このことを機に勲章の認識が高まり時の新政府は元老院の前身左院で賞牌制を設けることが論ぜられ、明治6年その製造が造幣寮に依頼あり、当時七宝作業の経験がなく旧幕府時代の七宝家元であった平田春行が明治(7)年に試作品を完成させ後の(勲一等旭日大綬章)となります。
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◆大勲位菊花章頸飾とは◆ |
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左図が大勲位菊花章頸飾です。この勲章は純銀をプレスし廻りを糸鋸で切り、表面に七宝を焼き付けた七宝の中でも一番の製品です。勲章の色づけの全ては七宝焼きで作られています、その特長は何年経っても色あせる事はないからです。現在は財務省造幣局で作られています。この勲章が東京七宝の元祖という事になります。現在我々組合の七宝製品はこれをベースとして他方面に作品を供給しております。女性装身具、紳士装身具、カーマーク、ゴルフマーカー、校章、社章、その他其の用途は非常に多いといえます。
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◆大勲位菊花章頸飾◆ |
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左図が大勲位菊花章頸飾です。 写真をクリックして下さい。
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◆大勲位菊花大綬章・副章(右下)・略綬(左下)◆ |
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左図が大勲位菊花大綬章・副章(右下)・略綬(左下)です。 写真をクリックして下さい。
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◆桐花大綬章・副章(右下)・略綬(左下)◆ |
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左図が大勲位菊花大綬章(正章)です。 写真をクリックして下さい。
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